徳蔵寺の歴史
東村山の徳蔵寺の創立は永禄3年(1560)、
開山年は元和年頃(1615~1623)と伝えられています。
江戸末期には赤坂の種徳寺末で、もと板倉氏の屋敷でした。
全叟禅師が寺の復興に尽力し、璧英禅師を招請し中興開山となっていただき、
全叟宗由禅師「自ら」は徳蔵寺中興2代(世)となりました。
寛永12年(1635)璧英禅師は招請され徳蔵寺の中興開山となりましたが、同年の秋に遷化されました。
江戸時代中期、永春庵が境内に移された際に国指定重要文化財、元弘の碑も移されました。
昭和43年(1968)に板碑保存館が建設され、 昭和57年(1982)に本堂・客殿・庫裏・永春庵を改築落慶、平成22年(2010)にはこれまで無かった山門も新築、平成29年(2017)に正位寺を再建しております。
徳蔵寺の本尊について
東村山の徳蔵寺の過去帳に「徳蔵寺の御本尊 観世音菩薩は、遠い昔、藤原氏盛貞公が守り本尊として当寺に安置し奉り、 開基として回向したものである」と書かれております。
新田義貞公が元弘3年(1333)に鎌倉の北条氏を攻めた際、 藤原氏盛貞公が今後の戦勝を祈念して安置したと考えられています。
木造漆箔で像高は23.9cmです。
宝冠をつけ、禅定印を結ぶ形状や法衣垂下の形式などに中世的な特徴が保たれており、脚や体躯の表現から室町時代につくられたものと推測されています。
永春庵
永春庵は、徳蔵寺第三世智明宗察禅師・寛永15年(1638)示寂の開祖で、徳蔵寺第五世方充和尚大禅師・天和2年(1682)示寂が中興しました。
御詠歌は「月雪の 世とは浮世の ながめにて 法の恵みの 奥深き山」となっています。
永春庵は当初、八国山将軍塚の南、丘の中腹にありました。
天明4年(1784)野口村絵図写(徳蔵寺板碑保存館蔵)に徳蔵寺持と記され、その境内に三士戦死之古墳と記入されています。
「古墳」は古碑のことと思われ、元弘の碑に関する最古の記録です。
永代供養宝塔「寿海」
跡継ぎがなく、墓地を持てない方の為に、山門・境内の整備等とともに建てられた、宗旨を問わず入ることができる永代供養宝塔です。
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正位寺
正位寺は、寛永17年(1640)に昌永寺として、梅岩寺の末寺として建立されました。
昌永寺は138年後の安永7年(1778)に正永寺として、徳蔵寺に譲り渡されていて、正位寺と改められました。
本尊の薬師如来は徳蔵寺本堂内に安置し、正位寺は解体となりましたが、
平成29年(2017)に徳蔵寺境内東側に民家を改装し、正位寺を再建し、本尊薬師如来を安置されました。
木造漆箔で像高は25.4cmです。
頭部のつくりや脚部、漆前の衣文など造形的には室町末から桃山時代の造像の可能性が考えられています。
東村山の徳蔵寺にお越しの際は、正位寺にも足をお運びください。
正位寺跡地蔵尊・六地蔵尊
10体の正位寺跡地蔵尊は江戸末期から明治頃、東村山の徳蔵寺の境内に正位寺の境内参道脇に移転されました。
現在、江戸時代末期に当寺の檀信徒により寄進された六地蔵尊と共に、新築された地蔵堂内に仲良く並んでいます。
東村山で安産や子育て祈願をお考えでしたら、当寺へご利益にお与りください。
久米川古戦場跡や鎌倉古街道など名所が多い東村山で地蔵巡りをお考えでしたら、徳蔵寺へおいでください。
歴史を感じられる佇まいの正位寺跡地蔵尊、六地蔵尊にお参りいただけます。